新疆ウィグル産の手摘み綿をメーカーが使って悪いか?
今日7月2日に伝え聞いたニュースで
“フランス当局、新疆ウィグル自治区での強制労働問題をめぐり、ユニクロを【人道に対する罪】で捜査!”
というのがありました。
えーっと。もうユニクロってばガチで犯罪者みたいな扱われ方で、この先どうすんの?と思ってしまいますが、ワタシなんかこの新彊綿の問題って何が問題なのか今も分からないままです。まぁ欧米の国々が言うには「ウィグル自治区では中国当局により強制的に綿花の収穫に従事させられている、強制労働の疑いがある。」ってことらしいんだが、これが強制労働かどうかというとその物言いはかなり怪しいのでは?と思っちゃうんであります。
まず新彊綿というのは中国産の綿花の中でも特に品質が良いので、各アパレルメーカーは好んで使用していたという事実がある。
で、品質の良さを担保するのが『機械摘み』ではなく『手摘み』だからというもの。機械摘みはどうしても綿花の繊維が途中でぶっつり切れやすくなるし、綿花カスなどの異物も混入しやすい。その点手摘みだとそういう機械摘みの欠点を補えるわけですよ。ただ同時に手摘みの作業がきついのは事実。腰が痛くなるし、手は綿の枝にある棘で傷が絶えない。アメリカでもかつては黒人奴隷を綿摘みに従事させていたけど、その後なり手がいなくなって、効率性もあるので大規模な機械摘みが導入されていったわけです。
で、こういう品質見合いと作業のきつさを考えたときに手摘み綿の方が機械摘みのものよりも高く売れるので、業者が搾取してないのであれば手摘み労働者にはその分高い給料が払える。何より機械摘みでやっちゃうとその地域での仕事がなくなる。今の欧米の非難にはこの視点がすっぽり抜け落ちてるんですね。発展途上国では機械化による効率化よりも、人力でやる仕事を残すことの方が優先されるということはいくらでもあります。
これがもし小学校、中学校単位で綿花畑で手摘み作業に従事させられるというのであれば「強制労働」と言えるだろうが、綿花の手摘み作業をやってお金を稼ぎたい人がかなりの数いる、というのであれば、ましてやそこで労働の対価をもらうのであれば強制労働というのはちょっと違うだろ、と思うんですよ。
実際インドでも手摘みが広く行われているし、子どもも動員されていたりしてそこに「強制労働だ!」という現地の実情を知らない非難には違和感しかないです。彼らには人力でやる仕事が必要だし、それが機械にとって変わるようになると仕事がなくなって食べれなくなる。
新疆ウィグルでの綿花収穫がそこまで切羽詰まったものでなくとも、ちょっと前までは日本の田植えと同じように、その時期は家族総出で綿摘み作業をやるといった牧歌的な風景があったはずです。
ここまで書いて新彊綿に対する欧米の非難はちょっとピントがずれてると思いますし、自分たちの価値基準で強制労働というレッテル貼りをするのはどうなのよと思います。
まぁ欧米の中でも特にアメリカからの非難は、自分たちがかつて黒人奴隷を綿花収穫に文字通りの強制労働をもって酷使していた暗い歴史があることから、ネガティブなイメージと罪悪感がないまぜになった複雑な心理ゆえのものだと見えてしまいます。