オリンピックの多様性と男の子向けとか女の子向けとか。

さて、熱戦の続くオリンピック。その大事なテーマの一つが「多様性」ということだそうで、ことさらLGBTの選手についての報道が目立ちます。
 
まぁこの件について何か書くと、必ず激しい反論も返ってくるのでどうしようかと思いつつ、先日来「アンパンマンを男の子向けと女の子向けに分けてリリースする」こととか「キャラクター自体を男の子向けとか女の子向けにカテゴリー分けする」こととかについて検討をしている中でいろいろと考えてしまうわけですよ。
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ことオリンピックに関して言うと僕はLでもGでもBでもどうでもいい、と思ってます。ただT(トランスジェンダー)だけは違うだろうよ、と。
競技についていえば問題になるのは『男性が性別を偽って女性の競技に出場すること』でしょうよ。逆はない。それを防ぐ対策としていろいろとこねくり回した結果、今ではIOCは『テストステロン(男性ホルモン)の値が規定以下であれば女性競技への参加は可能』としている。だから先日のNZの重量挙げ選手のように元男性が性適合手術を受けて女性としてエントリーして協議に参加できる。
ワタシなんかはこの措置を素晴らしいとは思えないのですよ。多様性の門戸を際限なく拡大するとこうなってしまう。性別の定義をあいまいにしてテストステロンの値でカテゴリー分けすることがすごく不自然に感じてしまうわけです。
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そりゃトランスジェンダーの人の権利とかはもちろん大事。LGBTの人たちが差別されないこと、彼ら彼女らに普通の人たちと同じような権利が認められれること、は大事です。僕なんかは個人的には同性婚でもなんでも認めてあげればいいと思います。普通の生活をする上で権利が侵害されているのであればそれは保護されるべきです。絶対に。
ただね。そんな普通の生活上の権利とオリンピックに参加する権利は同列に語るべきではないと思いますよ。だってオリンピックに参加することは普通の生活をするのとは明らかに違うでしょ。当たり前だけど普通の生活してたらオリンピックにはとても出れないでしょうよ。
ワタシがこの件で言いたいのは「元男性のトランスジェンダーの女性競技への参加を権利として認める際に、これまでその競技に打ち込んできた(元からの)女性アスリートの権利を考えたのか?」ということですよ。
全ての女性選手へのテストステロン値検査をしていない以上、単純にテストステロン(男性ホルモン)の値だけで線を引いて元男性の競技への参加を認めることは、その競技を続けてきた女性アスリートの権利を侵害してるのではないのか?ということです。
じゃぁどうすればいいのか?
IOCは単純に「元男性のトランスジェンダーの女性競技への参加は認めない。」とするべきだったのではないでしょうか?
いくら多様性を云々しても公平性が保てない規定はスポーツの前提をひっくり返してしまうことになりかねません。
さらに加えてまさにこの決定で排除された選手、南アフリカのセメンヤ・キャスター選手らがいたことも忘れないでほしいなと、陸上競技ファンのワタシなんかは思うわけです。
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仮面ライダーが男の子向けでプリキュアは女の子向け、というのは単純ですが、ピンクは女の子向けでブルーは男の子向けとする価値観に対して、LGBTを支援する団体の人々が反対を唱えて、果てに男の子も女の子も園で一緒に着替えをさせるというのは、まさに元男性のトランスジェンダーの選手を女性の競技に参加させるのと同じ線上にあると思うんですよねぇ。
ちょっと最後がぶれました。

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